このスライドは、私が入社して間もない頃、1962年11月から1965年の10月までの3年間を海外勤務で、インドネシア国ジョクジャカルタ市にある、アンバルクモ・パレス・ホテル建設事業に行った時の記録です。
当時のインドネシアは、日本が未だ賠償問題を抱えていた頃で、このホテル建設も賠償役務として技術指導として行きました。
このプロジェクトは、インドネシアに同時に3ホテルを建設すると言うものです。
その一つは、今良く知られているバリ島に建設したバリ・ビーチ・ホテル。
二つ目は西ジャワ島のプラブハンラトウという所にサムドラビーチ・ホテルの建設。
三つ目は私の赴任した中部ジャワの日本の京都とも言われたジョグジャカルタの市内にある元宮殿があった敷地内に建設したアンバルクモ・パレス・ホテル建設です。
この頃はスカルノ大統領が絶大なる権力を握っていた頃です。
今テレビで良く出てくるデビー夫人もインドネシアにいました。
年は私よりひとつ上ですが、当時では日本人離れをしたマスクで非常に美しい方でした。
そのデビー夫人も休暇の時には、お忍びで我がプロジェクトがあった時の宿舎であるカリウラン
(標高1000m位の所にあり、元オランダの植民地で軽井沢のような別荘地)へ訪ねて来られた事もあった。
先輩達は夕飯を済ますと彼女と麻雀をしていましたが、私は当時麻雀が出来ないので、夜は一人で外へ出て、南十字星を見ながら日本の事を想い出していました。
当時の楽しかった事、苦しかった事、哀しかった事・・・・・インドネシアの想い出は色々語り尽くせないほどありますが、我が人生40年の現場生活の中でも想い出多い、このアンバルクモ・パレス・ホテル建設工事の記録をスライドに沿って紹介します。
日本からは我々技術指導スタッフは8人、日本より各工事の職長レベルのスタッフ15人の総勢23人前後のスタッフとインドネシアの国営建設会社との合同プロジェクトであり、工事規模は地下1階、地上9階のホテルです。
アンバルクモ・パレス・ホテル建設工事 1962〜1965
2003.09.08 記