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1962年〜65年に中部ジャワのジョクジャカルタでホテル建設の仕事をしていた時のスタッフ一同で、ボロブドゥール(仏教遺跡)へ行った時の懐かしい写真です。 我がホテル建設現場より北へ42kmほど離れていますが、車で約1時間で行きます。 |
ボロブドゥール(仏教遺跡)は、なぜか私はこの雄大な石造建築の虜になったのは、仏跡の回廊の壁に彫られている長い長い物語の浮彫です。 このレリーフにとりつかれたインドネシアの3年間、十数回は訪ねています。 ここでは3〜4枚しかお見せする事は出来ませんがこの110m角、9層高さ42m の回廊の殆どの浮彫をカメラに収めています。 |
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何百枚撮った中でも、かなりエロチックなレリーフですが、どう言う構図になっているか ご想像に任せます。 |
あり日しの想い出 こちらから見て右側が我がプロジェクトの通訳の叔母さんです。 左側が当現場で働いていた事務員です。 私のインドネシア語の先生でもありました。 |
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1986年、再度家族で行った時の写真です。この道はジョクジャカルタからボロブドゥールへ行く街道です。以前は砂利道であり砂埃がひどく車が通り過ぎると見えなくなった事を覚えています。 この時は簡易舗装をしていました。 |
私の周りにいるのは、あり日しの絵の仲間であるMr.Damasの奥さんとその息子達です。 その絵の仲間はこちらへ来る数年前には癌で他界してしまったのですが、私達がインドネシアに行く事が決まりましたら、快く案内してくれました。 |
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その絵の仲間は名前がMr.Damasと言って、もし生きていればすばらしい画家になっていたと思います。 彼のアトリエには良く訪ねて行っては絵の談義をした覚えがあります。この奥さんもインドネシアで著名な画家の娘で、彼(Mr.Damas)と結婚したわけです。 私がインドネシアから日本へ帰る時、彼は思い出に絵をどれでも良いから持っていきなさい・・・と言ってくれました。 |
私も何回か行っているうちに目ぼしいのがあったので即座にこの絵がほしいと言ったら暫く躊躇していましたが、Tuan Takeda がほしいのならあげると言ってくれました。 この絵は当時のドイツ人やオランダ人が絵を買いに来ても何十万ルピアでも売らなかった絵です。 今でも我が家の居間に掛けています。 当時を思い出しながら・・・・・ |
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私も彼と一緒にジョクジャの郊外に出ては、絵を画いたりしていましたので、自分で3〜4枚は画いたはずですが、その全ての絵と道具を彼に上げてきてしまった。 それだけ日本に持参した彼の絵がほしかったので・・・・・。 今思えば記念に1枚は自分の絵を持ってくれば良かったなと思いました。 この上と左は我が息子(長男)です。 |
家族で撮った写真です。次男は小さ かったので静岡の実家に預けておいて 行きました。 今思えば連れて行けば良かったなと 思いました。 |
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この中の仏像に手が届けば願い事が叶えられると言っていました。 |
結構言う事を聞かない息子(長男)です。 今でもそうですが・・・・・! |
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今は亡きMr.Damasの家族と一緒に撮った写真です。 機会があれば再度訪ねてみたい国でもある。 私にとっては第二の故郷のような想い出のある国だから! |
ボロブドゥールのレリーフの数ある中で 3点だけ紹介しておきます。 私の気に入っているレリーフ(1)です。 |
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私の気に入っているレリーフ(2)です。 |
私の気に入っているレリーフ(3)です。 本当はこの大好きなボロブドゥール(仏教遺跡)の回廊(右回り)の全てを絵巻にしたいのですが今回はこのくらいにして おきます。 |
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インドネシア芸術の最大の魅力 :
2003.09.12 記